最後の異端記

読んでくれた人、好き。

私とインターネット

 

 

 

 

 

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

私とインターネット。私は実在し、貴方は実在しない。でも逆に考えてみれば、貴方こそが実在しているのではないだろうか?私の立場から見た時、貴方の立場から見た時、それは違うものであろう。私が思うことと貴方が思うことは違う、だけど私から見れば貴方が実在しないのは確実だ。

しかし、貴方はこう思っている。

私はもはや "real "を "objective "や "factual "という意味では使っていません。ここで私が区別しているのは、私自身の現実性の場合には、私が何かを知っているものと、私自身の意識の場合には、私が認識していないものとの間です。私が知っているものは、私の頭の中にあるものであり、私が気づいていないものは、私が気づいているものである。私が "I am aware of not-being-a-fox "と言えば、あなたも "I am aware of not-being-a-fox "と言えます。私は狐でないことを認識していますが、あなたは狐でないことを認識しておらず、しかもお互いに狐であることを認識していません。その違いは私の頭の中にあって、あなたの頭の中にはありません。しかし、私たちの意識の中に、そして私たちが意識している中に、狐としてのお互いではなく、人間としてのお互いの中にあるのです。

この違いから、ここでの私の2つの主要な関心事が生まれます。第一に、最終的な分析では、実在論者であることは相対主義者であることであり、何らかの形で自分は実在しないと考えている人であることを示したいと思います。第二に、理想主義者であることは、相対主義者であることであり、自分が実在すると考えることであることを示したいと思います。